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日本料亭 花外楼さん (名付けの親は木戸孝允!)

舗道から引き戸をくぐると外の喧騒からすーと別の世界にもぐりこんどかのような幻想にとらわれます。
いつも変わらず穏やかにお迎えくださる番頭さん。 その門をくぐって初めてお目にかかる方の印象はとても大切だとあらためて感じ入ります。

 その花外楼さんへ以前お伺いした時に、天神さんの時期だけ大阪天満宮所蔵の 指定有形文化財「御迎え人形」が玄関を飾ることを教えてもらいました。
そんなに大きなものでもなく と想像していたところ、なんと身長2mを超えるほどの大物。 さすがの花外楼さんのロビーも狭く感じてしまうほどの存在感です。
 。その巨体も修理を重ねていくうちに、少しずつ背が小さくなっているとのこと。それでもその迫力と存在感はこれからも変わらずでしょうね。

ご紹介文をご記載いたします。

大阪府指定有形文化財
 御迎え人形「羽柴秀吉」 大阪天満宮所蔵
::御迎え人形:::
 平安時代の中頃、951年に始まった天神祭りが、現在のように盛大になるのは、17世紀松野元禄文化華やかな時代でした。
そのころ、神様を奉裁した「船渡御」をお迎えするための「御迎え船」に豪華絢爛の風流人形が飾られるようになったのです。
その人形が「御迎え人形」と言われます。

人形のキャラクターは江戸時代に人気の人形浄瑠璃・文学や歌舞伎の登場人物からとられ、大阪町人たちの人気を博しました。幕末の最盛期には50体を超ましたが、現在はそのうちの16体が伝えられ、大阪府有形文化財に指定されています。

::羽柴秀吉::::
この人形は『絵本太功記』(全13段)の登場人物としての秀吉がモデルとされています。
『絵本太功記』は秀吉の伝記である『太閤記』とは異なり、明智光秀を主人公として「三日天下」を描いています。
しかし、登場人物の名は江戸幕府に円了して、光秀は「武智光秀」、秀吉は「真柴久吉」と少し変えていました。
特に10段目「尼ヶ崎閑居」は「太一」の名で、大人気の演目となりました。
この芝居を元に作られた人形は、主人公の光秀ではなく、秀吉のものだったのは、やはり大阪人の秀吉贔屓のせいでしょうか。 

毎年、花外楼さんのロビーへ大阪天満宮よりお貸しだしされたこの大きなお人形を楽しみにいらっしゃる方も多いそうです。
大川の穏やかな水面と時代のうつろいを感じていただけるのではないのでしょうか。

花外楼さんの歴史 
 天保元年 1830年、加賀の国出身の伊助が大阪北浜の現在の土地に料理旅館「加賀伊」を開いたのが始まり。幕末には伊助の誠実さが信頼を得て、木戸孝允(桂小五郎)ら明治維新の歴史を飾る志士たちの集いの場所だった。 
明治8年2月11日には、「加賀伊」で行われた大阪会議。
伊藤博文、井上馨のあっせんの元、薩長士の大久保利通、木戸孝允、板垣退助らが集い、ここに立憲政体の礎が築かれた。

花外楼の歴史
http://www.kagairo.co.jp/history/

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